悪い魔法使いに眠らされたお姫様や、意地悪な継母に殺されたお姫様は、みんな、素敵な王子様の口付けで目を覚まして幸せになっています。
そして、女の子ならそんなメルヘンなお話に一度は、憧れたり素敵な王子様に胸をときめかせたりしたことはあるのでは似でしょうか?
私、齋藤美姫(さいとう みき)も例に漏れず憧れております。
18にもなってと、友人や両親にからかわれますが、それでも理想は素敵な王子様。これだけは曲げたくはありません。
きっと、いつか私にもそんな素敵な王子様が来てくれると信じております。
そして、その夢は少々変わった形で叶えられる事となりました。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「…生きてんのか?」
「はい?」
唇に温もりを感じて目がパッチリと覚めました。
その私の目に飛び込んできたのは、とても綺麗な2粒のサファイア。
――いいえ、違いました。
宝石と間違えたのは、どこまでも続いている空のような青い青い色を持った双眸でした。
その瞳を縁取る睫と、さらりと頬に触れてくる絹糸の様な髪は、ペールブロンドでとてもとても幻想的に見えました。
仄明るい中で、そのサファイアの瞳はきらりと煌いて、じっと私の瞳を覗き込んできます。
その瞳がペールブロンドの睫に隠されて見えなくなると、少しだけ寂しくなりました。
――なぜ寂しいなどと思ったのでしょう。
でも私は、その疑問を深く追求する気は起きませんでした。
ただ、私は、再びその瞼が開かれるのを待ちました。
その私の思いは通じ、すぐにサファイアの瞳は現れましたが、それと同時に届いた言葉によって、夢見心地に待っていた気持ちはすっかり消え去ってしまいました。
「あのクソ牧師騙しやがったな! 生きていりゃあ。そら、傷一つねえだろうさ」
「…え?」
眉間にいっぱい皺を寄せて、目の前の綺麗な瞳は遠ざかりました。
私は、その顔を追うように横たわっていた体を起こして、改めて辺りを見回しました。
最初に目に留まったのは、天窓と壁に納められたステンドグラスとその前にある祭壇でした。
祭壇の両端には、燭架が一台ずつ置かれております。その両方とも蝋燭には火がともされており、室内をほんのりと照らしております。
ステンドクラスは、外から差し込んでくる月の明かりで幻想的な輝きを放っています。
その幻想的な世界に溶け込み、一際艶然とした姿でワイングラスを傾ける人がいました。
先ほど私の顔を覗き込んでいた人です。
サファイアの瞳を持った人は男性でした。
均整のとれたすらりと細長い姿態と、淡く輝くペールブロンドの腰まで伸びた髪。毛先に近づくにつれ、ふわりとウェーブがかかっています。
彼の唇がワイングラスから離れると、その唇は濡れて光り、艶麗な雰囲気を助長しているように見えました。
そのような姿を見て、自然と胸が高鳴り、頬に熱が集まるのは仕方の無いことだと思います。
言葉をかけるのも忘れて、しばらく彼を見つめておりますと、すっとその彼から視線を送られてきました。
私は、黙って彼を見ていたことを知られることが恥ずかしくなり、慌てて彼に向かって声をかけました。
「あのっ」
「…なんだ」
「あ…その、ここはどこですか?」
返された声の冷たさに、今まで高まっていた気持ちが一気に冷めました。
それと同時に、びしっと体中をぐるぐると縄で絞められたような窮屈な不安が襲ってきました。
彼は、私の顔をじっと見つめてきて、それから僅かに眉間に皺を寄せました。
なぜ、質問を少ししただけで、嫌そうな顔をされなくてはならないのでしょうか?
その態度にムッとしたことと、自分の中の不安感に負けないように、私も彼を睨み返しました。
「だから、嫌いなんだ…生きた女は」
「え?」
侮蔑を含んだ言葉と、揺れたサファイアの瞳の不釣合いな様子に、私は睨んでいた目を僅かに開きました。
――なぜ、泣きそうな顔でそのような事を仰るの?
彼は、私の問いに答える気が無いのか、私に背を向けて何処かへ行ってしまいました。
「え…お待ちください!!」
私の呼び止める声は、パタンと閉じた木製の扉であっさりと跳ね返されてしまいました。
「ど、どうしましょう…追いかけるべきなのかしら?」
私は、真っ暗な燭架の蝋燭の火と、月光の明かりしかない、ほんのりと明るい室内に一人残されて、少々…いいえ、とても怖くなりました。
私に対してとても友好的とは思えない男性だったとしても、このような場所に一人残されるよりはいいはず…ですよね?
そう自分に言い聞かせ、私は彼の後を追うべく立ち上がろうとしました。
かさり―と、立ち上がるために添えた手に綺麗な花が触れました。
「え?」
なぜ、私の横にこの様なものが置かれているのでしょうか?
いいえ、真っ白な花は私の隣だけではなく、ぐるりと体を包み込んでおりました。
そして、白い花と私は、黒く細長い箱の中に、守られるように納められていました。
「これは、どういうことかしら…」
するりと手触りの良い、黒い縁を手で撫ぜて、もう一度周囲へと目を向けました。
綺麗なステンドグラスに、祭壇…それから銀色の燭架。
「きょう…かい?」
そして、白い花と私を納めた黒い箱。
「ひ…棺…なの?」
なぜ?
どうして?
私が、棺の中にいるの?
不安と、恐怖と、混乱で頭がどうにかなってしまいそう!
「おや、本当ですねぇ、生き返ってしまわれたようだ」
扉が開け放たれた音と同時に、間延びした声が聞こえました。
その声にハッとして顔を上げると、そこには真っ黒い服を纏い銀縁の眼鏡を掛け口元に笑みを浮かべた男性が立っておりました。
その後ろから、扉を閉めてそのまま閉めた扉に寄りかかる先ほどのサファイアの瞳を持った男性の姿がありました。
私は、彼とこちらに歩いてくる黒装束の男性を交互に見て、それから、近づいてくる男性へ声をかけました。
「神父…様、ですか?」
「サイードと申します。神父…とは、貴女がいた世界の神に仕える人でしたね?」
「はい…そうです。あの、私の世界とはどういうことでしょうか?」
私の問いに、目の前の男性はさらに笑みを深くして首を横に傾げた。
「私の役職は、貴女が言った神父と同様ですが、この世界では呼び方が異なります。また、役職名で個人を指して呼ぶ習慣もありません。私のことはサイードと呼んでくださいね」
「は、はい、分かりました。サイードさん」
サイードさんのお言葉に、思わず頷いてから、貰いたかった回答を頂いていないことに気がつき、再び問いかけようとしたら、そっと顔の前に手を翳されました。
「え? あ、あのっ」
「今日はもう遅いので、貴女が聞きたいことは翌日に全て答えさせていただきます。貴女も突然のことで、色々と混乱もしているでしょう。一晩置いてからの方が、きっと、混乱も少なくお話できると思いますから…ね」
子供に諭し聞かせる様に、最後の一言だけ区切って言ったサイードさんに、私は、また素直に頷いてしまいました。そんな私を見てサイードさんは、翳していた手を私の頭の上に移して優しく撫でてきました。
「いい子ですね…では、フォーネスト皇子。後はよろしくお願いします」
「は? オレに押し付ける気かよ!?」
扉に寄りかかっていた男性が、突然振られた言葉に声を荒げます。
あの方のお名前はフォーネストさんとおっしゃるのですね。
サイードさんは、フォーネストさんの剣幕にもまったく動じる様子も無く、口調も柔らかに続けます。
きっと、優しい笑顔も浮かべているのでしょう。
「貴方が買ったのですから、お世話をするのは当たり前でしょう。それに、お部屋は私の寝室とこの祭室と…それから、貴方にお貸しした客室の一室しかないのですよ?」
「お前の部屋で寝かせればいいだろう」
「残念なことに、私の部屋にはベッドは一つしかありません。まさか、女性と私を一緒のベッドで寝かせようなどと思っていませんよね?」
「じゃあ、このままここに寝かせりゃいいじゃねーか」
「そんなこと私が許すはず無いでしょう?」
口調は変わらないままでしたけれど、すっと背筋が冷えるような冷たい声音でした。
顔は窺えませんが、フォーネストさんのたじろいだ様子を見る限り、見られなかったことの方が良いことだったのだと思われます。
「っち」
フォーネストさんは、舌打ちをして部屋から出て行きました。
え…これは、どうなったのでしょうか?
「では、話は纏まりましたので、彼についていってください。」
扉の部屋が閉まるのと同時に、サイードさんが振り向いて微笑まれます。
その突然の展開に、私はまだ頭がついていけず、ただサイードさんの顔を見上げるばかり。
「え…あの」
「そんなに広い場所ではありませんが、早く追いかけないと見失いますよ?」
苦笑交じりに私を抱き上げて棺から出してくれたサイードさんは、そう言葉を続けて扉を開いて廊下へ連れてってくれました。
廊下は真っ暗で、先が見えません。
その中で、うっすらと見えるペールブロンドの髪。
その髪の毛はユラユラと蝋燭の火のように揺らぎながらどんどんと遠くへ行ってしまいます。
こんな暗い場所を一人で歩くなんて嫌です。
私は、慌ててフォーネストさんの後姿を追いかけようと足を踏み出して、それから振り返りました。
「どうしました?」
振り返った私に、サイードさんは首を傾げてきました。
その彼に、私は、一度頭を下げてから一言おやすみなさいと告げ、返答を待たずに走り出しました。
ああ、もうあんなに遠くにいらっしゃいます。
「…はい、おやすみなさい…よい、夢を」
背後から、サイードさんの声が聞こえました。けれど、振り返って応じることはせず、私は、必死でフォーネストさんを追いかけました。