皆様、おはようございます。
 朝湯気が立ち込める、少々肌寒い早朝。
 私は、ここに来てから日課となっている教会の敷地内の小さな庭を掃いております。
「ミキさん。おはようございます。今日もいい天気ですね」
 背後から声が掛けられました。
 振り向くと、教会から出てきたサイードさんがこちらに向かってくる姿が見えました。
「おはようございます。朝のお勤めは終えられたのですか?」
 ここの世界でも、朝のお祈りは習慣となっているそうです。ちょっと違うのは、そのお祈りに教徒の方々は集まらず、教会を守るサイードさんが一人で行うそうです。
 この朝のお祈りは、必ずサイードさん一人で行わなければならないとお聞きしました。
 教徒の皆様は、週に一度教会でお祈りする以外は、お家で済まされるそうです。
 一度、変わっていますねとお訊ねしたところ、この世界の神様は、すぐ側に在らせられるので、祈る場所に制限はないとお答えをいただきました。
「はい、ミキさんはいかがですか? すぐ終わりそうでしたら、一緒に朝食をとりませんか?」
「はい、あとはこの集めた物を焼却場に持っていけばいいだけです」
「では、私は、先に戻って朝食の用意をして待っていますよ」
「ありがとうございます!」
 サイードさんの言葉に頷いて、私は、朝食のメニューを色々と想像しつつ少しスピードを上げて残りの仕事を終わらせました。

「今日で、3日経過しましたが、どうです?こちらでの生活は慣れましたか?」
 サイードさんと二人きりの食卓。
 今朝のメニューは、クランベリーを生地に混ぜたベーグルと、グレープフルーツジュース。目玉焼きとカリカリに焼かれたベーコンでした。
 …見た目は、私の世界で食べていたものと同じように見えますが、きっとこのベーグルやジュースに混ぜられた果物は、違うものを使われているのでしょう。けど、名前など聞いてもきっと分からないと思うので、とりあえず、私の中でクランベリーとグレープフルーツジュースにしておきます。
 私は、ベーグルを齧って、ジュースを一口いただいてから、笑顔で頷きました。
「はい、これも全て、サイードさんと、フォーネストさんのおかげです」
「そうですか、それを聞いて安心しましたよ」
 私の言葉に、サイードさんも同様の笑顔を浮かべてきました。
 サイードさんが仰られた通り、私がこの世界へ来て3日経っております。
 正確には目を覚ました夜を合わせると4日経過しました。
 一夜明けて最初の朝は、サイードさんとフォーネストさんにこの世界のことと簡単な自己紹介をしていただきました。
 サイードさんは、この教会の神父様のような方で、年は25歳と伺いました。
『ここはフィオライド帝国。そしてオレは、このフィオライドを統治する王。ファウネスト王の4番目の実子。フォーネストだ』
 フォーネストさんは、ムスッと不機嫌な顔をされたままお話しされ、それから始終その表情を変えることなく一日を終えました。
 …いいえ、1日目だけではありませんね。
 あの方は、その次の日もずっと不機嫌な表情を浮かべて私の側にいました。
 いつもあのように不機嫌なのでしょうか
 笑われることなどないのでしょうか?
 それとも、私がいる時だけ…なのでしょうか?
 もし、そうならとても悲しいです。
「ミキさん? どうされました?」
 サイードさんの声に、思考の渦から呼び戻されました。
 俯かせていた顔を上げると、心配そうに顔を顰めたサイードさんの顔が映りました。
「あ、すみません。少々ぼうっとしておりました」
「…慣れない世界にいるのですから、無理はしないでくださいね」
「いえ、大丈夫です。ちょっとフォーネストさんのことをかんが…あっ」
 咄嗟に口を手で押さえて、先ほどの発言を隠そうとしましたが、サイードさんの耳にしっかり届いていたようで、私の様子を見て柔和に微笑まれました。
「皇子殿下のことが気になりますか?」
「…なりません。と、申しますと嘘になります」
「素直なのは、貴女の美徳ですね」
 ため息を一つ吐いて、隠すことを諦め正直に話した私の頭を、サイードさんは、優しく撫でてくださいました。
 その優しい手の温もりに勇気付けられた私は、サイードさんに先ほど考えていたフォーネストさんのことをお尋ねすることにしました。
「あの、お聞きしたいことがあります」
 すでに私が彼のことを考えていたことは、サイードさんに露呈しているのですから、この際全てお聞きした方がいいでしょう。
「私に答えられることであればなんでも」
サイードさんは、私の頭から手を離し、眼鏡の奥にある目を細め、私を見つめてきました。
「フォーネストさんは、いつも機嫌が悪いのでしょうか?」
「機嫌が悪いように見えましたか?」
「…この二日間、ずっと眉間に皺を寄せているので、不機嫌なのかと思っていたのですが、そうではないのですか?」
 質問に質問で返され、私は、勘違いだったのかと思い再び聞き返しました。
 その私の言葉に、サイードさんは、「まあ、良くは、無いでしょうねぇ」と、今度は肯定を思わせる回答をしてきました。
「どちらなのですか?」
 ふらふらして、掴めない回答に少々イラつき、思わず棘を含んだ声音で重ねて訊ねてしまいました。
 サイードさんは、私の言葉に笑顔ですみませんと謝られてから、
「皇子殿下は、あれが普通なのですよ」
 と答えをくれました。
「不機嫌なのが普通なのですか?」
「あの方の場合、自分が不機嫌だということも分かっていないでしょうね。慢性的に不機嫌であれば、普通の人の感情の起伏によって起こる一過性の気分の変化とは異なります。ですから、不機嫌かと問われても、そうだと断言できないのですよ…私が言いたいことは、お分かりいただけますか?」
 その言葉に、私はただ頷きました。
「では、フォーネストさんは…一度も、不機嫌以外の感情を持ったことはないのですか?」
 私は、膝の上で両手を強く握り締めて、ずっと気になっていたことをお訪ねすると、サイードさんは、ニコリと微笑まれました。
「え? あの…」
「ほかの感情が無いわけではないのです。ただ、使い分ける方法を知らないのですよ。皇子殿下は」
「使い分ける…そんな、決められた通りに行う作業のような言い方は無いのではありませんか? 笑ったり泣いたりすることは、考えるよりも先に、内側から自然と溢れるものではありませんか」
「それは、豊かな感情表現の場を与えられて育てられた人だからこそ言える言葉ですよ」
 サイードさんの言葉が、突然研ぎ澄まされたナイフの様に鋭くなりました。
 その言葉は、まるで幸せに育ってきたことが悪いことだと責められているように聞こえました。
「貴女のことを責めているのではありませんよ。私が伝えたかったことは、それが周りの人に対しても同じようにあると思い込み、その幸せがとても貴きものであることを忘れてはいけません。と、いうことです」
 そう諭され、私は、小さい声ではいと返事をするだけでいっぱいでした。
 俯いてしまった私の頭に、サイードさんの手が再び優しく触れてきました。
「当たり前にあることに慣れてしまうと、その価値が分からなくなることがあります。また、とても苦痛を伴うことでも、それが毎日続いたら、それが当たり前になり、幸せを知らずに生きていく方もいます…皇子殿下は、この幸せを知らないで生きてきた方なのですよ」
 サイードさんの言葉に、私は俯かせていた顔を上げました。
 サイードさんは、少し悲しそうに微笑んでフォーネストさんのことをお話してくれました。
「皇子殿下は、10歳まで王宮の地下室で育てられていました。ここフィオライド帝国では、4番目に生まれた皇子は《忌み子》とされ、その誕生を喜ばれません」
 サイードさんの口から紡がれた言葉に、私は、驚きに目を見開きました。
「なぜ? 4番目に生まれると《イミゴ》と呼ばれるのですか?」
「忌み子とは、世界に嫌われた子供の事を指します。理由は色々とありますよ…死神を呼び寄せるとか、帝国に混沌を呼び込むなど」
「それは、実際に起こったことがあるのですか?」
「過去の文献には一切そのようなことは書かれていませんね」
「そんな…それじゃあ、なぜそんなことをするのですか」
「それは、皇族の方々にお聞きしなければ、分からない事柄ですね」
 そう苦笑いを浮かべたサイードさん。
 私は、慌ててすみませんと謝りました。
「…サイードさんがやったことではないのに、問い詰めるような言い方をしてしまいました」
「気にしていませんよ。話を戻しますが、皇子殿下は、この出生の理由から皇族として得られるはずの地位も、人として与えられるはずの日常も全て手にすることなく、幼少期を過ごされました」
 一度、私へ優しく微笑まれた後、瞳を曇らせ心痛を顕に私へ向けられたものとは異なった笑顔でそう続けられました。
 その続けられた言葉に、私は、胸が苦しくなり、ぎゅっと胸元へ両手を押し付けました。
「皇子殿下とお話をして、違和感を覚えたことはありませんか?」