願い事を叶えてから、何度も季節が繰り返し過ぎて行きました。
 黒の本の女は黒の本から出てきた男から貰った3つの願い事を隠して旅を続けます。
 いつも薄汚れた麻布のマントを深くかぶり、金貨もできるだけ使わないように気をつけ、いつも空腹と共に旅を続けていました。
 3つの願い事を使うと黒の本の持ち主は
「男をとられた女」と
「財産を狙う人間」と
「黒の本の女の地位におびえる人間」に殺されてしまうからです。
 しかし、黒の本の女には心臓がないので、どんなに苦しくても痛くても本当に死ぬ事はありませんでした。
 黒の本の女はいつしか、黒の本からもらった願い事を隠して生きるようになりました。
 どのくらいの年月をそう過ごしたのでしょうか?
 100を越える拷問と、100を越える四季を見た頃。
 黒の本を持った女に話しかける少年がいました。
 その少年は、黒の本を持った女が何度追い払っても話しかけてきます。
「どうして、アタシに付きまとうの」
「あなたが好きだから」
「本当かしら、アンタはアタシの持っているものが欲しいから付きまとっているんじゃないの!?そんな言葉にだまされるもんですか!」
 そう言って、黒の本を持った女は少年の胸にナイフを突き刺しました。
 その一瞬、少年は寂しそうに微笑みを浮かべて地面にことりと糸の切れた人形の様に地面に倒れました。
 その姿を見て、これでまた一人で旅を続けることが出来る。
 と、ほっと胸を撫で下ろして旅を再び続けます。
 しかし今度は、老人が付きまとうようになりました。
「どうして、アタシに付きまとうの? あなたにあげられるものは何もないわ」
「あなたが好きだからです」
「嘘をおっしゃい!!」
 あの少年と同じように、黒の本の持ち主はその老人も殺します。
 それから、黒の本を持った女の周りには、様々な人間が近づいてくるようになりました。
 黒の本を持った女はそのたびに、胸にナイフを突き刺して心臓を止めていきました。
 そして、その時に繰り返される言葉は同じ。
「なぜ、アタシについてくるの?」
「あなたが好きだから」
 その言葉を聞くたびに、黒の本の女はナイフで心臓を貫きます。
 100人目に黒の本を持った女の前に現れたのは、もう何百年も前にこの世界から消えた、白の本を持つ双子の妹にそっくりな少女でした。
 黒の本を持った女は、いつものように心臓を止めようとナイフを振りかざしますが、どうしても少女の胸をつくことができませんでした。
「アタシはあなたを殺せない。お願いだから、どこかにいって頂戴」
 黒の本の女は言います。
 しかし、少女は首を縦には振りません。
 黒の本の女は何度も繰り返し聞いてきた言葉を少女にもおくりました。
「どうしてアタシに付きまとうの? 何が目的なの?」
「あなたが大好きなの」
 少女はそう笑顔で答えました。
「アタシが好きだとどうして言えるの? そんな言葉は信じられないわ」
 そう言うと、少女は寂しそうに俯きました。
 そして、黒の本の女に言いました。
「じゃあ、わたしを信じられないと言うなら、そのナイフで心臓を突いていいよ。わたしは、あなたが幸せになれればそれでいいの。あなたが、わたしのこの胸にナイフを収める事で安心できるのならそうすればいいわ」
「それができないから、消えて頂戴っていってるのよ」
「どうしてできないの?」
 少女の言葉に、黒の本の女は一度口を閉じ、そして、ゆっくりとこう言いました。
「双子の妹に似ているアンタをアタシは殺せない。」
「もし白の本を使えば、今の苦しみが消えるといっても? その本の場所を私が知っているといっても?」
 少女は言います。
 黒の本を持った女は、その言葉を聞いて白の本を手に入れようと思いました。
 そこで、黒の本を持った女は少女に白の本の女の場所を尋ねます。
「白の本は今、どこにあるの?」
 その問いに、少女は首を横に振りました。
「教えない。どうしてもその本が欲しいなら、自分で探しなさいよ」
 少女の言葉に、黒の本の女はイライラと唇をかみ締めます。
「生意気な娘だね」
 黒の本の女は耐えられずに、とうとう少女の心臓にナイフを突き立ててしまいました。
 少女は、とても嬉しそうに微笑んで人形のように動かなくなりました。
 黒の本の女が少女からナイフを取り出した時、少女の体が白く光りだしました。
「ぎゃあ」
 あまりの眩しさに、黒の本の女は瞼を閉じました。
「願い事を叶えよう」
 白い光の中から、老人の声が響いてきます。
 黒の本の女は、その声の主を見るために細く目を開きました。
 眩い光の中に立っていたのは、白の本から出てきた老人でした。
 黒の本の女は白の本から出てきた老人を逃がすまいと、必死にその者の袖に縋りつきました。
「ああ、お願いだよ、私の願いを聞いてくれないかい! もう、嫌だ、与えられた願いを使うたびに酷い仕打ちを受ける。心臓がないせいで死ぬ事もできない…お願いだよ、私を殺しておくれ!!」
 縋りつく黒の本の女を白の本から出てきた老人は一瞥し、そしてゆるりと首を横に振った。
「私が叶えられるのは、私の本の持ち主だけじゃ、あなたの願いは叶えられん」
「なんだって!? けち臭いとこ言いでないよ!! あんたの主は死んでるだろう? 願い事を言える者がいないなら他の者の願いを叶えてくれてもいいはずだ!」
 なおも食い下がってくる黒の本の女に、白の本から出てきた老人は先ほどと同じように首を横に振った。
「残念だが、私はすでに持ち主の願い事を3つ叶えている、どちらにしても、あなたの願いは受け入れる事は出来んことだ」
「なんだって!?」
 白の本から出てきた老人の言葉に、黒の本の女は目を大きく見開きました。
「あの娘、私を騙したね」
 地面に横たわった少女へと目を移し再び、胸にナイフを突き刺します。
 何度も、何度も、胸の中にある黒いものを少女の胸に送り込むように。
 そして、少女の胸元がミートソースのように、赤く柔らかくなった頃、黒の本の女は自分の胸に懐かしい鼓動を感じる事ができました。
 ことりと心臓が跳ねる音。
 黒の本の女は無心になって突き刺していたナイフから手を外して、胸元へと持っていって、その音が間違いなく自分の心臓であることを感じ、歓喜に震えました。
「ああ、私の心臓、私の心臓がある」
 その姿を見て、白の本から出てきた老人は赤く染まった少女へと目を移して会釈をしました。
「願い事、確かに叶えましたぞ」
 その言葉に、黒の本の女は再び驚きに目を見開きました。
「我が本の持ち主の願いは、姉のあなたを助ける事、残り二つの願いと自身の命と引き換えての物だった」
 そこで、白の本から出てきた老人は、ゆっくりと白の本の女の事を語りだしました。
 姉が飢えに喘ぎながら放浪を続けている間に、白の本の女は一人の男性の元へ嫁ぎ、3人の子供と5人の孫を持って幸せに暮らしていました。
 夫に先立たれ、子供達夫婦も孫も自分の下から去ってしまった後、姉の様子を聞いた白の本の女は、白の本から出てきた老人を呼び出しました。
「願い事は何か?」と、白の本から出てきた老人が現れて尋ねます。
 白の本の女は「どうか、姉を助けてください」と自分の本に願います
 しかし白の本から出てきた老人は、首を横に振って拒否しました。
「今残っている願い事全てを使っても、あの方を助ける事はできかねる」と…それでも、何か方法はないかと白の本から出てきた老人に尋ねます。
 そうすると、白の本から出てきた老人はとてもゆっくりと口を開きました。
「では、あなたがあの者に100回殺されてくだされ。そうすれば、あの者は楽になる事ができましょうぞ」
 その言葉を聞いて、白の本の女は姿を変えて何度も何度も黒の本の女に殺されに向かいました。
 最初は、少年、次は老人…と、黒の本の女に気づかれないように。
 黒の本の女は、白の本の女とは知らず、何度も何度もやってくる人間を殺しました。
 そして、白の本の女が自分の幼い頃の姿をとって100回目の死を遂げた時、黒の本の女の胸からことりと心臓のはねる音が聞こえてきました。
 そこまで白の本から出てきた老人の話を聞いていた黒の本の女は、足元に転がる少女を抱き上げて尋ねました。
「なぜ、そんなのことをしたの」
 心臓が止まっているはずの少女の唇が、ゆっくりと開かれました。
「あなたが好きだから」と…
 その言葉に、黒の本の女はボロボロと涙を流して白の本の女である少女を抱きしめました。
「なんてことをしてしまったの」
 すでに息のない白の本の女を抱いて何度も何度も「なんてことをしてしまったのだろう」と呟きます。
 そして、その彼女の体は涙を流すたびに赤い水となって溶けて、白の本の女だった少女の服を真っ赤に染めて薔薇へと姿を変えました。